2012年5月16日 (水)

今日の収穫

雨上がりの畑で、せっせと苺摘む。隣にもあげる。これから一週間ほどは、食べきれないほImg_4554 どある。毎日食べて、毎日苺ジュース。
グリンピース、ちしゃ、ニンニクの芽も収穫。セロリとパセリ、日々巨大化しているフキも。庭のミツバも摘む。


食べた。
いい季節です。



古居みずえさんの『ぼくたちは見た ガザ・サムニ家の子どもたち』読了。
ずいぶん前に読みはじめたのに、途中でつらくて読みすすめられなくなった。それでもそこに、子どもたちがいることは気になっていて、とにかく泣きながら読み終えた。
こういう本は、書くことも書かないことも苦しいだろうと思った。
でも何か希望があるとするなら、この子どもたちに寄り添うまなざしがあるということのほかにないと思う。

ひとりの子どもの悲しみのために、百人の、千人の、天使が降りてきてほしい。

2012年5月15日 (火)

パヤタスの子どもたち

思い立って、写真ブログつくりました。

パヤタスの子どもたち
フィリピン、ケソン市パヤタスのゴミ山と、周辺の集落。フリースクール「パアララン・パンタオ」の写真。
http://yumenifuruyuki.blog.eonet.jp/default/

古い写真、整理しています。なかなかたいへん。紛失もありそう。
今は、ゴミ山は部外者の立ち入りは難しいし、以前の学校の様子を知らない人たちも多くなってきたし、するので、こういう写真も何かの参考になるかしらと思って、せっせとスキャンしてますが、見慣れたつもりでも、いろいろと思い出したりして、こみあげてくるものあります。

そういえば私、人生ではじめて、カメラというものをもって、自分で写真とったのが、1994年にパヤタスに行ったときだった。そのときも今も、押せば写る、というのしか使えない。

1994年7月の写真、UPしました。
たぶんこういうのが、延々つづく。

パアラランのHPは、 http://www.fureai-ch.ne.jp/payatas/
パアララン・パンタオへの支援は、
郵便振替 00110-9-579521 名称 パヤタス・オープンメンバー 
まで

2012年5月14日 (月)

短歌往来6月号に

短歌往来の6月号、西田リーバウ望東子さんの連載「ドイツ通信」に、ベルリンで3月24日に行われた「震災祈念朗読と音楽の夕べ」のことが書かれている。
これに、野樹の短歌も翻訳されて参加していて、記事を送ってもらったので、貼ります。ぺったん。
Photo

ああ、ドイツ語になっている。ドイツ語読めませんが、短歌が外国語になるという、想像したことのない景色のなかに、私は行ったことがないドイツに、私の短歌は行ったらしい。なんか不思議。

中学生の女の子が書いたという
 ● 牛乳は白いと思うがほんとうはなかの色はまっくろである

という歌に驚いた。日常の観察が、非日常をも貫き掬い取るということがあるんだなと、心を働かせて自分で見つけた景色は、そういう力をもつことがあるんだなと、心打たれました。

ところで、とりあげてもらった野樹の短歌3首について、「ともに震災とは関係のない、海外の悲惨な事故に取材した作品という。」 2
なのですが、
「ふるさとに」と「ひと椀の」は震災前に刊行された歌集に収録されているので問題ないのですが、
「白いひつじ」の歌は、震災前に書いたけど、投稿も発表も震災後、なので、なやましい。

というのも、「未来」2月号に錦見映理子さんが「いつか必ず来る次の震災のために」という評論のなかで、「震災直後の作の可能性がある」作品として、

 ● そののちの虚空にたたずむ やさしかった人たちがふいに消えてしまって
 ● 海の上をあるいて帰ってくるだろうか波のように白いひつじを連れて

の2首を取り上げてくださっていて、それを見て、たしかに震災後の作品に見えるので、そういうことでいいかなと思っていたのでしたが、

西田さんにお会いしたときに、「白いひつじ」についてきかれて、ボスフォラス海峡の海難事故の話ですと、喋っちゃった。

それで、私の説明不足もあったと思うのですが、「トルコで実際にあった」のは「数十頭の羊の溺死事件」ではなくて、2万頭以上の羊の溺死事件。

2万頭以上のその夥しい羊が、脳裏で、波頭になったり雪になったり、死んだ人たちになったりしていたときに、震災が起きた。あのときは、私の空想の戯れの景色が、震災の画面の向こうにつながってゆきそうなことに、たじろいだ。

それから、あれこれの動揺のなかで、書いたことも投稿したことも忘れていた一連だったのでした。何か思い出したくないような気持ちもあって、掲載誌も見なかった。錦見さんが見つけてくれなかったら、記憶の彼方に消えてしまっていたかもしれないし、きっとドイツにも行かなかった。
私のひつじ。

錦見さん、西田さん、見つけてくださって、ありがとうございました。



ついでなので、ボスフォラス海峡に沈んだ羊の話はこんなふう。

「それから、羊と一緒に海峡の底に沈んだ船があった。一九九一年の十一月十五日、ルーマニアから買い取った二万頭以上の羊を積んで海峡を通過していた、レバノン国籍のラブニオンという名の家畜運搬用の船は、ニューオーリンズからロシアに小麦を運ぶマドンナ・リリという名のフィリピン国籍の貨物船と衝突すると、羊もろとも沈没した。船から飛び出して泳いでいたごく僅かの羊が、海峡沿いの茶屋で新聞を読みコーヒーを飲んでいたイスタンブール人によって救われたが、二万頭の不運な羊たちが海峡の底から引き上げてくれる人を待っているのだ、いまだに。」

            オルハン・パムク『イスタンブール』藤原書店

2012年5月13日 (日)

5月のデート♪

デートに誘われた。子どもに。
これを断るのはやっかいである。なので出かける。るんるん。

電車に乗って広島駅まで。それから市電を乗り継いで、縮景園へ。Img_4426_2 
いい天気。土日祝日は小学生無料のうえに、鯉の餌までくれた。
それでさっそく、鯉の餌やり。
鯉の餌を鳩も食べることを発見した子ども、鯉と鳩と、両方の餌やりに忙しい。

結婚式の新郎新婦が何組も記念写真の撮影に来ていたが、花嫁の着物姿とかには、子ども、まったく関心を示さない。
「新緑がきれいだねえ」ぐらいのことは言ったかな。
すたたんすたたん歩いていって、ときどきかくれんぼする。Img_4448_2 

菖蒲がちょっと咲いていた。
売店で子ども、アイスクリーム食べる。

また市電に乗って、玩具屋さん。100円もってゲームしに行く。私は本読んでうたた寝する。30分ほど。
それからコンビニで、おにぎりとサンドイッチとジュースとバナナ買って、また市電に乗って、公園に行く。

大学跡地の公園は、見る度に、メタセコイアがばかでかくなっている気がする。自分が大学に通っていた頃に、このメタセコイアがどんなだったか記憶にない。そもそも大学にまともに通ってないのだが、まあそんなことは子どもには言わない。Img_4488_2 
ベンチでお昼ごはん食べて、それから遊んだ。
だるまさんがころんだとか、かくれんぼとか。

木の後ろに隠れるだけなのに、子ども、私を見つけられない。あっちに走ってこっちに走って探し回っているのを、木陰から見ているのが面白かったが、そのうちかわいそうになってきたので、呼んであげました。
泣きそうな顔が一瞬で笑顔になって走ってきた。

そこらじゅう、しろつめくさ咲いていたので、何十年ぶりに首飾りつくった。子どもが遊び飽きたあとの首飾りを、帽子にのせて歩いている私はへんだろうが、「なかなかかわいいよ」と子どもが言うので、いいのである。あんたがよければ、なんでもいいのよ。Img_4513

子ども、来月のデートの予定もたてている。もしかして毎月なのかい。
まあいいや。るんるん。Img_4491 

【紹介】金明秀さんの「朝鮮学校『無償化』除外問題Q&A」

とても良い記事なので拡散希望。
http://t.co/cHnkvtmg

もうひとつ、ぐるぐるさんのも。
「朝鮮学校無償化問題FAQ」
http://t.co/guq0TLOe

2012年5月12日 (土)

秘密の国

図書館で見かけて、何げなく借りてきた本。ル・グィンの『どこからも彼方にある国』
ゲド戦記の作者が1970年代に発表した青春小説。
17歳の、周囲になじめなくて、架空の国を空想する男の子と、音楽でしか自分を表現できない女の子の話。さくさくっと読めて快かった。

エミリ・ブロンテの詩が引用されていて、なつかしかった。以前、夢中で読んだ。
ブロンテ姉妹と弟が、空想のなかで秘密の国のこみいった物語をつくりあげたという話もでてくる。評伝を読んだときにも圧倒されたけど、エミリ・ブロンテの、架空の世界へのひきこもりの強さは尋常でない。そしてその架空の世界のことを、彼女はかたくなに秘密にしたがった。

難攻不落の秘密基地というのは、まず、彼女がつくりあげた架空の国だと思うわ。

秘密の国をつくろうと思って、島の絵をかき、火山と森と花畑をかいたら、そのあとどうしていいかわかんないというような、私みたいなのの、すかすかの想像力とはわけがちがう。

憧れの、難攻不落の秘密基地。

エミリ・ブロンテは夥しい詩を書いたが、その多くが、架空の国の物語のなかの詩。ぞくぞくするような詩群だった。何千人も収容する地下牢があって、その地下牢の壁に残された詩、というのもあったような気がする。

さて、ル・グィンの本には、女の子が、エミリ・ブロンテの詩に曲をつけて演奏したという場面がある。その詩。

 富なんてくだらない
 愛なんてばかばかしくて笑ってしまう
 名誉なんて望んだところで
 朝になったら消えてしまう夢でしかない
 
 もしもわたしが祈るとしたら
 この唇からもれる祈りはひとつだけ
 「この心をときはなち
 自由をください」

 人生は疾(と)く過ぎゆき もう終わりも近い
 わたしが焦がれるのは
 なにものにもとらわれない魂と
 生も死も乗りこえてゆける勇気だけ!



オルコット夫人の「秘密の花園」の物語で、足の悪い男の子が、秘密の花園で歩けるようになる。それはほかのどんな場所でもなくて、秘密の花園でなければならなかったんだということは、その話を最初に読んだ小学生のときに私にもわかっていたと思う。家でも学校でも人のいるところならどこででも、否応なく歪んでいく自分も、そのような「秘密の花園」でなら、まっすぐすこやかなものになれると思った。

十代も後半の子どもたちに、秘密の花園はないのだが、心のなかの架空の国で、「どこからも彼方にある国」で、少年と少女は出会いました、という話。

2012年5月11日 (金)

パヤタスの子どもたち Photos of Payatas 1994

Photos of Payatas 1994 パヤタスとパアララン・パンタオの古い写真。整理がてら、ぼちぼちUPしていくことにしました。1994年7月のゴミ山の写真から。

http://yumenifuruyuki.blog.eonet.jp/default/2012/05/post-5ec1.html

http://yumenifuruyuki.blog.eonet.jp/default/

2012年5月10日 (木)

秘密の本

夕方、子どもはピアノの練習している。
しているはずなのだが、ときどき、それからしばらく、ピアノの音が聞こえなくなる。こういうときは、何かそこらにある本を読み出したのだ。
お気に入りなのは、3・11の写真集で、もう本がぼろぼろになってページがはずれるくらい、めくっている。
さて、声をかけなきゃな、と思っていたら、子どものほうから、やってきた。
「ママ、これすごいよ。銀河電車って書いてある」 Img047_2
え。
子どもが見ていた本はこれでした。


私の歌集。
あー。隠していたのに、どこからひっぱり出してきたんだか。

「これ、ぼくの絵が表紙だよね。それで、なかの短歌はママが書いたんだよね。被爆電車と新型電車が出てくるよ。自転車も。それからそれから、機関車トーマスも出てくるんだ。ああ、ママの短歌、すばらしいよ」

……この手放しの賞賛はなんだ。ま、乗り物が出てくればなんでもいいんだわ。

子ども、朗読をはじめる。

 Uの字の景色の底を走ってゆく被爆電車や新型電車
 自転車屋の天井に自転車吊されてそこだけが夕焼けのサーカス
 トーマスのレールも銀河へ続くから(みんなのほんとうのさいわいを)

なんと。8歳の子でもすらすら読める短歌でした。ちなみに章タイトルが「銀河電車」。

さて、ぼうや。ちょっとお話をしよう。
これは秘密の本なんだよ。これは秘密の本だから、ママは秘密の名前で書いている。この本のことは、パパは知ってるし、すこしのお友だちも知ってるけど、ほかの人は知らない。おじいちゃんもおばあちゃんも、近所の人たちも、みんな知らない。だから誰にも言っちゃいけない。わかるよね。
それで、秘密は秘密だからすてきで、しゃべったらだいなしなんだ。きみは、銀河電車に感動してくれたけど、ほかの人は、くだらないっていうかもしれない。そうすると、感動したきみの気持ちが傷つくよね。それは残念だよ。だから言わない。
……必死の口封じ。

「うん、絶対言わないよ。それでそれで、ぼくのかいたお月さまの絵にママの、もうひとりのわたしがどこかとおくにいていまこの月をみているとおもう、って文字がかかっているんだ。あのページもすばらしいよ」Img046 


中表紙のことですね。

そんなに感動してくれてうれしいよ。
でももうすこし大きくなってから読んだほうがいいと思うよ。

それから子ども、広島の市電の特徴について、えんえんと話しはじめ、ついで高知の市電の特徴について話しはじめる。図鑑の内容を丸暗記してる気配だが、何度聞かされても、私はおぼえられない。



さて、困った。もうすこし先だと思ってたんだけどな。
この子ども、たいていの漢字は読める。この調子だともう、なんでも嗅ぎあてるに違いない。
自閉症のソーシャルスキルの本は、なんの本と思ってか知らないが、とにかくぼくの本と思ったらしく、すでに自分の本棚にもっていって読んでるし。

またいろいろ、ふたりで秘密の話もしようね。
「うん、楽しみだね」

2012年5月 9日 (水)

リコーダー

午後、ひととき雷雨。バリバリバリってすごい音で。
まもなくやんだ。

古いエプロンつぶして、それから機関車トーマスのはぎれとで、袋ふたつ縫う。リコーダー入れる袋。最初に縫ったのは大きかったので、それは、そろばん入れる袋にして、もうひとつ縫った。

学校の教材、リコーダーと国語辞典と習字道具の申込用紙がきてたけど、リコーダーも国語辞典もうちにあるのを使うというし、習字道具は10年前にゴミ捨て場で拾ったやつが、硯も文鎮もそのまま使えそうだしするので、習字道具の外側のかばんと筆巻きだけ注文した。

リコーダーはしかし、私が小学校のときに使っていたやつだよ。こんなものよく残っていたよね。何十年前よ。噛みあともすごいし、ちょっと欠けてるし。これを使えというのは胸が痛い。なので、新しいほうがよくないか、と言ったんだが、これでいいって言う。じゃあ、もしみんなとかたちや音色が違っていたりして、困ったら、言いなさいね。

ケースもないので、袋縫った。

もしきみが、学校の先生で、クラスにひとりだけ、みんなとちがう色の笛をみんなとちがう袋に入れてくる子がいたら、どうする。
「すごいね、りっぱだね」って言う。

ふむ。そんなら平気ですかね。私が縫ったがたがたの袋で、傷だらけの古いリコーダーで。
運指表もないので、一応指使い教えましたが、うまく押さえられなくて、まだ音が出ない。

針で指刺した。
あとは、お習字の雑巾2枚っと。

2012年5月 7日 (月)

秘密基地

ぼくは孤独がすきなんだ、
って言ったのはムーミンのお話に出てくるスナフキンだが、
「いいんだ、ぼくはそんなに孤独が好きじゃないしね。」
って、自分にはまだ家出する実力がないとさとったらしい子どもは言った。

うん。でもきみはいつか家出しなくちゃいけないし、家出する実力を身につけなきゃいけない。
さしあたっていま、きみはどこへ家出できるか。
思わず考えているうちに、なんだかあれこれと思い出した。
あれこれの秘密基地のこと。



秘密基地がほしかった。
最初は机の下だった。幼稚園のとき。それから押し入れ。
それから、「小公女」を読んだ小学校1年のときに、屋根裏部屋、にあこがれた。

裏山の木々とは仲良しだった。松の根っこのからみあって、すわりやすい場所。
山のなか歩き回りながら、この枝とこの枝を柱にして、小屋をつくって、ということを考えていた。暮らすとすると、水がいるから、ため池をつくる、とか。……実現できる力がなかったんだけど。

小学校4年のときに「アンネの日記」を読んで、隠れ家、という言葉にとりつかれて、どこか隠れる場所を、探した。
古い木造校舎には、昔の宿直室がのこっていて、押し入れがあった。その押し入れの天井板が外れて、天井裏にのぼれた。しばらくの間、昼休みと掃除時間をそこにもぐってすごした。
古い講堂が残っていて、そこは舞台の裏に穴があいていて、そこから床下にもぐれた。床下はけっこう高さがあって、私は小さくて通気口からも出入りできて、放課後、暗くなるまでそこで遊んだ。このときはひとりじゃなくて、あとふたり女の子がいた。一度、ひとりがマッチをもっていて、ろうそくもあったのか、紙くずだったかおぼえてないけど、火をつけて、それがすぐに消えなくて、焦った。くつで踏みつぶしたら消えて、ほっとしたけど、それからまもなく、講堂の床下の遊び場所を私たちは放棄し、もう一緒に遊ばなくなった。あの火遊びで、何か、傷ついてしまったんだと思う。

裏山の一画は数年来工事中で、くずれた斜面をダンボールを尻に敷いて滑り降りるのは、お気に入りの遊びだったが、その山の空き地に、大量の段ボールと赤いソファーセットが捨てられているのを、あるとき見つけた。
そのソファー4つをくみあわせて、上に段ボールをのせたら、小さな小部屋ができた。近くの女の子たち、4人ほどの遊び場所になった。あるとき風がふいて、屋根が全部とばされていたので、今度は、釘とかなづちをもってのぼって、板きれも拾って、屋根を打ちつけてとばないようにした。古い毛布ももちこんで、休みの日はお弁当もって、ひきこもりに行ったが、あるとき、よその男の子たちにのっとられてしまった。ほかの女の子たちはもう飽きてとっくにいなくなっていて、私はひとりで取り戻しに行くことができず、かなしく見ている間に、ソファーセットの小屋は崖をすべり落ちて朽ちていった。いつのまにか。
あれは何年生のときだろう。5年生か6年生。

家の前の空き地は建築資材置き場で、円錐形にくんである木材の途中のところに、ひろってきたコウモリ傘をかけたら、屋根になった。床には板きれ。夏休みのある日、母に叱られて早朝家を飛び出して、夕方までうろうろしたあげく、家には帰らず、その資材置き場に泊まることにした。年上の女の子が、床に敷く新聞や、枕代わりのまんが雑誌や蚊取り線香をもってきてくれて、寝る準備もととのったが、隣のおばさんに見つかって、連れ戻されたね。

中学校で図書委員だったとき、土曜日の係は放課後30分くらい図書室をあけていればよかったんだけど、私は夕方まで開けていて、外からは見えない片隅でひなたぼっこしてた。親しい友だちだけが開いていることを知っていて、ときどき遊びにきた。赤毛のアンのシリーズがはいったのを、順番に読んでいった。自分が次に読みたい本は、ほかの人に借りられないように、隠していたんだけど、ときどき誰かに見つけ出されていた。ばれていたのかな、やがて土曜日の係をはずされて、そのうち土曜日の係がなくなった。私は土曜の午後の隠れ家をなくしてさびしかった。

玄関横の3畳の部屋は、台風で床上浸水したあと畳がなかった。板敷きのままのそのうちの2畳が私の勉強部屋で、寝るとき以外はそこにもぐって中高生時代を過ごした。あの狭さは、それはそれで快適だったのだ。



思うに、秘密基地なしに、生きてゆけない。かばんのなかの大学ノートの日記帳は、頭のなかの秘密基地だった。

いま、子どものランドセルのなかの自由帳では、秘密基地どころか、秘密の街が不気味に増殖をつづけている。



思うに、家出しても家出しても家出にあこがれ、帰りついても帰りついても、まだどこかに帰りたい。

とりあえず、子どもは元気に遠足から帰ってきた。
私は畑に行ってこよう。

昨日の畑。
いちごがもうすこし。Img_4399 

グリーンピースももうすこし。Img_4400 






フキの葉の下は、コロボックルの秘密基地。
Img_4402