2012年1月28日 (土)

冬眠

子どもの国語のノートから。


めあて
読書ゆうびんの書き方が分かる。
××さんへ

「あほう村の九すけ」をしょうかいします。
たてものの二かいから、きょ大なだいこんがぶら下がってくるところがおもしろかったです。
あほう村のじゅうみんはいたずらをしたんだと、思いました。



これだけか。これだけでいいのか。
いや、幸せな読書ゆうびんだよ。笑ってしまった。

ところで、いま子どもが読んでいるのは、「たのしいムーミン一家」。
宿題を途中で放り出して読んでいる。九九を唱えている最中も読んでいる。

昔、バイトしていた児童館が、古くなった本を処分するときに、捨てられかかったのを拾っておいたものなのだが、背表紙も破れてぼろぼろなのを、勝手に引っぱり出してきて読んでいる。
……なんでも拾っておくもんだ。

ムーミンで思いだすのは、アニメの「ムーミン谷に冬が来ました」の語りだなあ。番組は必ず、ムーミン谷に冬が来て、みんなが冬眠して、スナフキンは旅に出て、終わるのではなかったろうか。

そっ。冬が来ました。もう寒い。冷え性なのでどうにもならない。家のなかも寒いし、たまらなくて、こたつにもぐると、たちまち眠る。体がもう、全然動きたがらないのはきっと、冬眠の季節だからなんだな。

子どもが読み終わったら、私も読もうっと。拾っただけでまだ読んでない。
「たのしいムーミン一家」

2012年1月23日 (月)

朝鮮学校に無償化を求める要請文への賛同のお願いです!

河津聖恵さんのブログhttp://reliance.blog.eonet.jp/default/2012/01/post-781b.html
から転載します。

★朝鮮学校に無償化を求める要請文への賛同のお願いです!★ 転載歓迎!

 2011年1月23日現在、朝鮮学校の無償化は、一向に実現の見通しがついておりません。昨年8月末に菅前首相が手続き再開を指示しましたが、その後12月には金正日総書記の逝去を口実に、政府は再び朝鮮半島情勢を持ち出し、中川前文科大臣は無償化か否かの判断が遅延する可能性を口にしました。年が明けまた文科大臣が変わりましたが、朝鮮学校の無償化について前大臣からどのような申し送りがされたのかも不明です。拉致担当大臣等、関係閣僚の顔ぶれからも不安なものが胸によぎります。
 いずれにしても、3月初めの卒業式までには無償化が実現されるよう、最大限の努力をしなくてはなりません。もうすでに1月も終わりで焦燥感を抱いています。そこで、2月に再度要請を行います。要請文を下記のようです。ぜひお読み頂き、賛同いただければと思います。

賛同して下さる方々は、
1皆様の中でこの要請文に賛同して下さる方々のお名前を、要請文の下に加筆いたします。その際、名前の公表の可否については次のabcをお選び下さい。なお名前を公表可能な方で、肩書きも公表可能な方は名前の後に( )を付けてお記し下さい(例:河津聖書(詩人)、※肩書きはもちろん詩人に限らず、多様な方の賛同を求めます)

a要請の際に渡す紙の上にだけ、名前(肩書き)の公表が可能。
bネット上でも名前(肩書き)の公表が可能。
c紙の上でもネット上でも名前(肩書き)の公表は不可能(この場合は、全賛同者の名前を記述した後の「他何々名」の人数に含めさせて頂きます)

2賛同者の方々で希望者には、コメントも寄せて頂きたいと思います。コメントは、要請文と賛同者名の後に、無記名で順次記載いたします。

要請文の内容に賛同して下さる方は、上記1について明記の上、私の下記のアドレスまでおお送り下さい。なお、この要請文は「詩人の要請書」となっておりますが、もちろん詩人以外の方々でも賛同大歓迎です。何かご質問、ご不明な点があれば何でもおたずね下さい。

賛同の送り先:kiyoe51803291@kib.biglobe.ne.jp(メールタイトルは「要請文賛同」でお願いします)

私たちのこどもたちのために、多くの方々がお力を貸して下さることを願っております!

    2012年1月23日       河津聖恵   

内閣総理大臣 野田佳彦様
文部科学大臣 平野博文様

    朝鮮学校への「高校無償化」制度即時適用を求める詩人の要請書
 
 2010年2月、鳩山元首相は、当時の拉致大臣の要請を受け、朝鮮学校を高校無償化の対象から当面除外すると宣言しました。私達詩人は、同年8月に『朝鮮学校無償化除外反対アンソロジー』を出し、一日も早い無償化の実現を訴えてきましたが、この二年の間、錯綜する情報に一喜一憂し、希望を抱くたび打ちのめされてきました。何よりも、一日千秋の思いで文科大臣の決断を待っていた生徒達の心の傷はいかばかりでしょうか。さらに、昨年結局は無償化の対象とされず、信じていた日本社会に裏切られた思いを抱いて巣立った卒業生達は、後輩もまた同じ思いを強いられているのを見て、どれほどやるせない思いでいるでしょうか。かれらの心を想像すると、私達の心も果てしなく痛みます。
 首相も文科大臣も二年で何度も交替しましたが、去っていった誰一人として、無償化の恩恵から理不尽に取り残されたままの子供たちのことを、もはや振り返ろうともしていません。子供達は、人間としての当然の権利から排除され放置されてしまいました。政治家たちとマスコミに煽られた世間の誹謗中傷も止まない中に。こうした事態の責任はすべて、みずからの利害と保身に走ったために無償化を実現できなかった政治家、高校無償化の理念を守り通せないでいる民主党、そして当初は朝鮮学校の無償化を決めていたにも関わらず、政治の介入を毅然とはねつけられない文科省にあるのではないでしょうか。
 首相は「政治家の仕事は、みなさんが安心して、それぞれがやりたいことが出来るようにお手伝いすることです」と先日テレビで言われました。その「安心して自己実現できる」という首相の言葉には、子供たちが安心して学べるようにする、ということも当然含まれると理解しています。その趣旨で行けば、朝鮮学校の生徒達もまた、日本の高校生と同じように、社会全体が慈しむ中で、安心して学べなくてはならない筈です。
 文科省もまた、菅前首相が無償化の手続き再開を指示したにも関わらず、積極的に動いているようには思えません。さらには同省の曖昧な態度につけ込むかのように、地方議会では補助金の打ち切りを次々決議されました。とりわけ震災時に被災者に炊き出しをした東北朝鮮学校に対する宮城県議会の補助金打ち切りの決議は、在日同胞社会に大きな悲痛とショックを与えています。
 しかし皮肉なことではありますが、この二年間、政治からのあからさまな非人間的な仕打ちを契機に、日本の良識ある人々の間で支援の輪は大きく拡がり出しました。各地で新たな支援組織も生まれました。さらに昨年11月には、海の向こうの韓国で、私達の『アンソロジー』のダイジェスト・朝鮮語版が上梓されました。これは同国の俳優権海孝(クォン・ヘヒヨ)氏(「冬のソナタ」等に出演)が朝鮮学校生達の描いた絵にエッセイを寄せた絵本との同時出版です。出版を企画した韓国の写真家は言いました。「私が朝鮮学校を支援するのは、同じ民族だからではありません。民族の文化や言葉を学ぶ生徒達の輝きに感動したからです。それは普遍的な気持です」。この言葉には、真の人間的な深さと温かさがあります。人間は、どんな心の壁も国家のエゴイズムも乗り越えて、人間を目指し続けるべきではないでしょうか。
 首相と文科大臣にお願いです。もうこれ以上、朝鮮学校の無償化除外という事態を引き延ばし、子供達の心に理不尽な悲しみを背負わせないで下さい。国策や政治の思惑で、いま現在も朝鮮学校でふつうに学び生きている生徒達の学ぶ権利と喜びを奪わないで下さい。首相と大臣は、朝鮮学校無償化実現という私達の悲願に、人間として向き合い、必ず叶えて下さい。
 一日も早く朝鮮学校の無償化が実現され、今の三年生が晴れ晴れとした気持で卒業できることを、私達詩人は切に願ってやみません。       

 2012年1月18日    
 『朝鮮学校無償化除外反対アンソロジー』刊行会
代表 河津聖恵

賛同のコメントなど(随時増えていくようです)、詳しくはもとのブログを見てください。

普通の話

朝鮮学校を除雪車は素通りする、という話。
こちらに詳しい。

http://anews.jp/p/14515

そこまで冷たいか、と唖然とした。
以前、広島の朝鮮学校の移転が、20年もかかったのはなぜかという話を、聞いたときも、にわかに信じられなかった。
たぶん、ものすごく気を使って、穏やかに話してくださったのですが、私はあんまり気を使えないので、簡単に言うと、住民のなかにいじわるなのがいて、反対運動するわ、県議会議員にもいじわるなのがいて、補助金は出さないわ、とても苦しめたのである。
そんな話を聞いて驚いたと、東京の朝鮮大学校の先生に話したら、ここもそうでしたよ、どこでもそうですよ、とあっさり返事された。

そこに学校があって、雪が積もってるのに、除雪車が来ない、市役所も悪いが、町内にそんなところがあるのに、それを放置している町内会も、冷たいだろう。
目の前の雪の山が見えないのかな、目の前の子どもが見えないのか。
きっと見ていても、見えないんだろう。何が、見えなくさせているのか。

でも、いのちは、国境や民族を超えて、望む望まずに関わらず、つながっていると思うので、他者に対してしていることは、そのまま、自分に対してしていることだと思うよ。



いきなり話はとぶが、「やっぱり生命は永遠なんだろうなあ」とパパが言った。年に何回かの大掃除の話なんだが、町内会のおじいさんたちが、がんばるんである。
「思うに、生命は永遠だと、死が近いじいさんたちは、どこかでそのことを感じていて、だから、せっせとボランティアするんじゃないだろうか。川掃除するじいさんたち見てると、せめて少しでも自分を浄化してから死のうと、しているような気がするよ。次がすこしでもましなようにさ。」

でも、年とってからボランティアするっていうのも、実際はなかなか難しいのではないだろうか。そう思うと、ここのおじいさんたち、下校時の見回りパトロールもするし、なかなかえらいのだ。

私は、パアラランの支援をはじめたとき、「ありがとうございます」っていう、たったそれだけの言葉を、言ったり書いたりすることが、こんなに難しいのかと、自己嫌悪でほんとうにまいった。いろいろと切羽詰まった状況であるとか、たまには言われる悪口とか、そんなことより何より、こみあげてくる自己嫌悪がたまらなかった。
もっとちゃんとした人がやったら、もっとちゃんとなるとおもうのに、ちゃんとしてない私がここにいるという、罪深さのような苦しさ。
でも、見てしまったのに知らないふりをしたら、自分が救われないのである。見てしまったらおしまいなのだ。
あれから17年たって、白状すれば、私は今も、「ありがとうございます」がむずかしい。
そいでいまも、微妙にこみあげてくる自己嫌悪をですね、微妙になだめながら、おじいさんたちの川掃除のことなど考えているんだけど。

たぶんあと、10年か20年後には、おおかたいなくなっているんだと思うんだけど、川掃除するおじいさんたちの後生がよからんことを。



雪かきは、したほうがいい。してあげられる立場にある人は、するべきだよ。
朝鮮学校のためであるよりは、むしろ自分のためだよ。そこに雪山があるのを見てしまって、なのに、知らないふりをしているのは、相当におそろしいことだと、思うけどな。

2012年1月21日 (土)

黒い雨と白い雪

黒い雨について。

「広島の原爆投下直後に降った、いわゆる「黒い雨」。大量の放射性物質が含まれていたとされるが、黒い雨がどこに降り、人体にどのような影響を与えたのか、明らかにされてこなかった。こうしたなか、被爆者の研究を長年行ってきた放射線影響研究所は、先月、広島の原爆投下直後に黒い雨にあったとするおよそ1万2000人分のデータを一部公開した。新たに明らかになったデータからは何が分かるのか、黒い雨の実態に迫る。」

【本放送】NHK総合 1月20日(金) 午後 7:30 ~ 7:58
<中国地方向け>
【再放送】NHK総合 1月21日(土) 午前 10:05 ~ 10:33
<中国地方向け>
全国ネットでやってほしいですけど。
内容はこちらに詳しい。
http://kyumei.me/?p=784


黒い雨の降雨地域
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012012002000193.html

黒い雨:67年後の無念…厚労省検討会、拡大認めぬ報告http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120120k0000e040262000c.html 

つまり、うちの近所のおじいさんたち、黒い雨を浴びたのに被爆者と認めてもらえない。

このあたり、黒い雨はざんざん降ったそうである。原爆は市内に爆弾が落ちたとは思わなかった。山のすぐ後ろに落ちたかと思った。それくらい近くに見えた。

でも黒い雨が降ったと国は認定しないし、被爆者と認めてももらえないので、病気になってもなんにも補償はない。認定された地域の人たちは医療費を出してもらえるのに。
被爆者手帳を出せとまでは言わんが、健康診断くらい無料で受けさせろと、おじいさんたちは毎年陳情している。
つつましい陳情だ。原爆で死んだ人がたくさんいるのに、生き残った人は、それだけでも後ろめたい。そこで声をあげるのは、なかなかたいへんなことと思うよ。何年も何年も言い続けても、相手にされないのに。

年寄りたちのあれこれの病気が被爆のせいか、二世三世の障害や骨の病気や原因不明の体調不良は、関係あるかないか、わからない。でも調子の悪い体を何十年もひきずって生きる現実は、しんどい。

黒い雨を浴びたってことは、それから何十年もたって、甲状腺の手術したり、手足がしびれたり、骨が駄目になったときに「黒い雨のせいかの?」って不安をもつってことだ。
手足のしびれを「黒い雨のせいかの?」って言っていた近所のおじいさん、最近はあまりまともに会話もできないみたいだ。ドクターストップかかってるのに酒飲んで、車の前に飛び出すのであぶなくてしょうがない。
町内会長たち、警察に相談に行く。もし誰かが、じいさんをはねても、大目に見てくれ、という話をしに。
団地内徐行徹底のこと。

戦争だの原爆だので、みんないろいろと傷ついているのだ。認知症になった年寄りも大人しいのは施設で面倒も見てもらえるが、暴れて危険なのは、精神病院に入る。するとまもなく亡くなるんだそうである。もう何年も前だが、近所のじいさんも、帰ってこなかった。老人会の噂話は、こわいので書かない。

被ばくした地域の拡大を認めないということは、いまの福島やその近辺の人たちも、当然、被曝を認めてもらえないだろう。67年後にも無念だろう。

「国なんてそんなもんよ」
「被ばくの補償するんなら、黒い雨浴びたわしらが先で。福島や関東より、わしらが先で」
「福島はまだええのよ。相手が日本や。言うていく先がある。わしらアメリカや。もっていく先がない」
「広島は復興したいうが、放射能に弱い人間から死んで、何年もかけて死んで、生き残った強い人間で復興したのよ。体ぼろぼろになりながら、復興するのよ。そのうち、福島弁も広島弁になるわい。やっとられるかい。」

みたいなことを、書くのは品がないだろうな。

黒い雨の新しいデータについては、降雨地域の拡大を認めて、その地域の被爆者の存在を認めたら、これまで出してきた100ミリシーベルト以下はなんとかの被爆リスクについてのデータの信憑性が疑われてくるらしい。それでかどうか、放影研は、科学的に重要視する必要のあるデータではない、みたいなことを言っているらしい。

「ほうじゃろうのう。わしらの被ばくを認めたら、福島や関東も認めんといかん。それがいやなんじゃろう」

科学的にどうこうは、私は知らん。だけど、うちの近所のじいさんたちを無視した科学なんか「冷酷」というべきだと思う。
吉本隆明がどう言おうと、そんな冷酷な文明なんかいらん。



白い雪について。

東北でも北海道でも、雪が降ったら除雪車が出て、まず一番に小中高校の学校と通学路を除雪するらしいのですが、朝鮮学校については除雪してくれない。半世紀以上、除雪のお願いをしているが、してくれない。
そこに子どもが通うのに。
ということははじめて知った。震災のときは、避難者がいるのに、給水車も朝鮮学校を素通りしたそうだ。
大阪も東京も、愚にもつかない理由で、というか、ほとんどいちゃもんつけて、朝鮮学校への補助金を停止している。

どこまで冷酷な日本だろう。

2012年1月19日 (木)

通せんぼ

昨日は、学校の帰りに、SとMと3年のSに通せんぼされたのらしい。でもそのほかに何か言われたということもなく、通せんぼだけらしい。いつものことなので、放っておく。
たいしたことないと思ったら許してあげればいい。いやだと思ったら、自分で先生に言いなさい。我慢せずに、何でも言いなさいって先生は言ってくれてるよ。

Sのことを考える。彼はうちの子が、たぶん好きなんである。
それでうちの子が、ほかの子にいじめられているのをかばってやったときなんかは、とてもいい気分だったのである。春頃は。ところが、つい一緒になっていじめたんだな。それがなんか面白かったんだ。それから調子が狂いっぱなし。

相手が悪いよなあ。アスペルガー症候群だぞ。パライソKYだ。一緒に遊んでても、きみの気持ちなんかおかまいなしに、ひとりで勝手にパライソ行くんだよな。わけわかんないことしゃべってさ。帰りもひとりでどんどん走って帰るし。悪口言わなきゃふりむいてくれないもんな。通せんぼしなきゃとまってくれないもんな。しょうがないよな。

難しい恋だと思うよ。どうすべ。

そいでまたうちの子がっ。
ごめんって反省してくれたら、ゆるしてあげるんだよ、とは言ってるんだが、「反省した?って、ぼくが何度きいても返事しないんだ」って、聞くな、そんなこと。そんなん聞かれたら、だれが反省するもんかって、思うよ。



そういえば、参観日のとき、教室の壁には、新年の目標、みたいなものが貼ってあった。字をきれいに書く、とか書いている字がきれいじゃないが、早寝早起きするとか、まあそんなことだが、なかに、友だちにやさしくする、わけは悪い子のままの自分がいやだからです、と書いている子がいて、名前みたら、秋に、うちの子の隣の席になったときに、「死ね」とか「キモイ」とか、言ってくれた女の子だなあ。
うん、方向転換はしたほうがいいと思う。「キモイ」はやめたほうがいい。そんなこと言ってる女の子が、しあわせになるなんて思えないしさ。

恋に落ちて

私が、ではなく。

オルハン・パムクの小説『無垢の博物館』を数日前に読み終えた。
おもしろかった。

恋に落ちて、人生を棒にふった男の話。

「いつのことか、君は僕の恋人だった
そばにいても君が恋しかった
いま君は別の愛に出会った
幸せは君にあげよう
苦しみは僕が、苦悩は僕が引き受けるから
どうか幸せな人生が君のものでありますように」
という歌の歌詞は美しく聞こえるが。

裕福な30男が、18歳の娘に恋をした。それで、婚約者もいたのに結婚もおじゃんになるし、ゴシップふりまかれるし、肝心の若い恋人は行方不明で、あらわれたときは人妻だし、なのに恋しつづけて、彼女の煙草の吸い殻までコレクションしている……。

「フェスンに恋い焦がれるうちに六年という歳月が流れた。人生とは未来に向けて開け放たれ、愉悦に溢れた冒険行だと思い込んでいた若者が、人生への痛憤や孤独、失望にとりつかれた一人の男へと変わり、人生にはもう何もないのだという虚無が徐々に鎌首をもたげていた。」

なんというか、すみずみまで愛の苦しみがいきわたっている本。

男は、もといた裕福な人々の世界からも離れて、うらぶれて、異国でみすぼらしく死んでゆくんだけれど、彼の愛の苦しみに上下巻しっかりつきあったら(つかれるが)、なんというか、幸せが自分の胸に生まれてくる感じがする本。

「とても幸せな人生」を送った男についての本。

たぶん、人生って、壊れたぶんだけ、棒にふったぶんだけ、価値なのかもしれないと、読み終えたらそう思ってしまう本。

うん、棒にふってなんぼ、の人生かもしれん。元気だそう。

2012年1月18日 (水)

パライソKY、あるいはJY

参観日に行ったら、教室が、ほかのクラスと同じように静かだ。ずいぶん落ち着いてきたんだなあ。
子ども、窓際の一番後ろ。その隣がMちゃん、その隣がSくん。
休み時間、子ども、にこにことうれしそうに「ママ、今日はいっしょに帰ろうね」などと話しかけてくる。
子どもの後ろにぴったりとくっついてくるのはSくんで、子どもが私の耳元に「相手してもいいかなあ」とささやく。ということはゆるしてもいい気持ちになったか。ということは、謝ってもらったか。
そりゃ自分で考えなさい、とささやき返した。

あとで、聞いたところによると、朝、先生は連絡帳を見て、話を聞いてくれて、昼休みの時間に、MとSのふたりは「悪口言ってごめんなさい」とあやまってくれたのだそうだ。それで子どもは「いいよ」と許してあげて、「でももうしないでね」と言ったのだそうだ。「でもまたするかもしれないとぼくは思うけど」、何はともあれ、あやまってもらったので、子ども、ご機嫌よろしいのだった。

それから授業がはじまって、窓から眺めてたんですが、にこにことしあわせそうな子ども、「ママ、帰りはどこで待っててくれる?」とか、授業中にきいてくるな。
うすうす気づいていたんだけど、今日、確信した。この子ども、しあわせだと勉強せん。きっと頭のなか、まっすぐパライソに行くんだべ。

足もとの床に、日差しが差し込むのを見て、指で影絵つくって遊んでる。
国語の授業はかさこじぞう。
教科書も開いているし、ノートもとっているが、先生の質問に対して、書いている答えはとんちんかんで、ぼくの耳に聞こえたのはきっと、先生の質問ではなくて、ぼくがたまたま気になったこと、なんだろな。

ところで、隣のMちゃんは、おそろしく不機嫌な顔をして、ノートのマス目を黒くぬりつぶしている。その隣のSくんは、なんともいえないすさんだ顔をして、ノートに鉛筆で、ぶちぶち穴を開けている。

クラス全体は、いい感じで授業がすすんでいる。後ろの3人だけが、あきらかに流れからこぼれ落ちている。ひとりは勝手にパライソ行ってるし、あとのふたりは、それぞれの不機嫌な場所に孤独に沈んでいるが、ノートの字の汚いことと、先生の話を聞いてないことは、3人とも一緒。

授業のあと、子どもと、「じゃあ1時間後に歩道橋の下でね」と話している間も、Sがうしろにはりついている。私の子どもをかまう以外に、身の置き所がないか、子どもが私に何か言いつけて、それが親の耳にはいるんじゃないかと警戒しているか、どっちかなんだろうが、どっちにしても、しんどかろう。

とりあえず、何も知らないふりしといてやる。

夕方、担任の先生から電話もらう。すぐに対応してもらってありがたいことでした。

ところで子ども、パライソから降りてこん。
宿題が全然手につかない。チーズのサンドイッチつくって食べて、図鑑読んで、地図帳ながめて、「ママ、人生最高のデートのことなんだけど、来週はどうかな」とか、思いつきを言ってみたり(映画見るんなら春休み、って言ってるのにっ。)床に空き箱のビルを並べて、ミニカー走らせて、信号機つくったりをはじめて、叱られると、そのときだけ、机に向かうが、またうっとりと地図帳ながめて、
ごはんの時間になっても終わってない、8時になっても終わってない、床も片付いてない。

「おまえさ、空気読めないだけじゃなくて、時間も読めないんだろ。KYのうえにJYだな。いま何時よ。いつ片付けて、いつお風呂入って、いつ寝るのよ。もう宿題なんかしなくていいよっ」
とおかーさんに叱りとばされて、
「いまやるよっ」と逆ギレしたもんだから、パパにも叱られて、泣きながら残りの宿題片付けていたが。

うすうす気づいていたが、確信した。きみは、しあわせなときより、叱られて泣きながらのほうが、集中して勉強できるよ。

2012年1月16日 (月)

「KY」とか「貧乏」とか

学校から帰ってきた子ども、泣きそうな顔して怒っている。
五時間目の音楽の時間に、近所の同級生のSが(またしてもSだ)、
子どものことを「KY」で、「たいそう貧乏」で、「父さんがハゲ」って言ったのらしい。帰りの道では、S姉3年生にも、同級生のMちゃんにも「KY」って言われるのらしい。それで走って行こうとしたら「走るな」って通せんぼされるらしい。
やれやれまたか。

あたっとるけどね。「KY」も「たいそう貧乏」(出典は教科書のかさこじぞうだな)も「ハゲ」も。

「ぼくの父さんに対して、ひどい。失礼だ」と子どもは怒っている。言われたときにその場でそう言い返せれば立派だが、無理だろうな。

通学班が一緒で、登下校のときもいやな思いをさせられるのに、あろうことか席替えのくじ引きで、Mと隣同士、Sとも同じ班になって「もう最悪」なのらしい。

SとMは、こないだ反省して関係改善したはずだが、Sあたりはすぐにいい気になるんだな。

さて、どうしましょうか。連絡帳に書きますか。
「書いて」というので、書く。
帰りに、先生が、「我慢しなくていいんだよ」と声をかけてくれたらしいので、見てくれているのだろう、と思うけど。

さて、KYは何かわかる?
「空気読めない」
それで、きみはクラスのみんなを賢くて、立派だと思う? それともふざけてておろかだと思う? どっち?
「半分以上はふざけてて、ばかなことばっかりしてる」
ママの考えでは、賢くて立派な人は、人のことをKYだなんて言ってばかにしない。そうじゃない連中が、空気が読めない、とか言う。
じゃあ、そいつらが言う「空気が読める」って言うのはどういうことか。ばかな連中の空気を読んで、その仲間になるってことだよ。そうなりたい?
「いや、なりたくない」
だろ? だったらKYのほうがしあわせなんだよ。ばかな連中の仲間にならずにすむから。
「ああそうか。Sくんは空気が読めるから、悪いことする子たちの真似して、どんどん自分も悪くなっていったんだ。今はもう、先生に立ちなさいって叱られても、いやだ、とか言って立たないんだ。」
なるほど。

「貧乏」はあたってるよ。でも、うちは貧乏だけど、楽しいだろ。だからいいんだよ。これから、たくさんの人が貧乏になる時代になるよ。そのときに、貧乏を知らない人間は絶望して不幸になったりするけど、うちはずっと貧乏だから、絶望しようがない。心が強いから大丈夫なんだ。
きみは、貧乏だから、心が強くなる可能性がある。それはラッキーなことだよ。
それより、このご時世に、他人のことを貧乏だってばかにするっていうのは、ばかにする人間に教養がない、世間知らずで恥ずかしい子どもだよ。

そっちのほうが心配。

子ども、なんだかだんだんうれしそうな顔になってくる。
それで突然、机の上にあったアストラムラインのチョロQを(ほんの昨日、私の友だちの家に行ったときに、もらったものなのだが)「これ、ママにあげる」って渡してくれる。
「ママにあげたいとおもっていたんだ。誕生日のプレゼントだよ」

……自分のほしいものとママのほしいものが一緒だと思うなよ。想像力のないやつめ。うん、まあ、うれしいよ。ありがと。

さて、明日、参観日。

『ひろしま』上映会のお知らせ

『ひろしま──1945年8月6日、原子雲の下の真実』 Img031_2
58年の時を経て、幻の映画が奇跡の再公開!

2012年1月28日(土)13時15分~
アステールプラザ中ホール

チラシから

「広島の市民ら約8万8千人が出演し、原爆が投下された直後の惨状を再現した──

自らも広島で被爆した教育学者・長田新が編纂した文集『原爆の子~広島の少年少女のうったえ』を、日本教職員組合が映画化を決定し、八木保太郎の脚色により映画化された本作は、広島県教職員組合と広島市民の全面的な協力の下で制作され、多数の広島市の中学・高校生と父母、教職員、一般市民等約8万8500人が手弁当のエキストラとして参加した。その中には原爆を直接経験した者も少なくなかった。映画に必要な戦時中の服装や防毒マスク、鉄カブト等は、広島県下の各市町村の住民から約4000点が寄せられた。『ひろしま』で描かれる原爆投下後の圧倒的な群衆シーンの迫力は、これら広島県民の協力なくしてはあり得なかっただろう。 Img032
東宝出身で戦後独立プロに転じた監督の関川秀雄は、原爆が投下された直後の地獄絵図の映像化に勢力を傾け、百数カットに及ぶ撮影を費やして、克明に原爆被災現場における救護所や太田川の惨状等の阿鼻叫喚の修羅場を再現した。そして被爆者たちのその後の苦しみを描いた。それはひとえに被爆者の声でもあった。
被爆国ニッポンは、すべての核を否定すべきであった。唯一の被爆国だというのに、私たちは、核の恐ろしさをもっと大きな声で訴えてこなかったのか…。原発も核開発に他ならない。」

2012年1月15日 (日)

人生最高のデートのために

子どもが言うには、
「ぼくは、宇宙から乳母車にのって、黄色い道を走って地球にやってきたんだよ」
「ぼくは、本当はニューヨークがよかったけど、ちょっと道をまちがえたんだ」
それで、ここに生まれたらしい。
そりゃ残念だったね。
「でもいいんだ。友だちできたから。ママとパパのことだよ」

しばらくして、子どもが言うには、
「もし、ママがもっと若くて、ぼくがもうすこし大きかったら、ぼくはママとデートするのに」
もっと若くて、は余分。若くなくてもデートできるよ。
だけど、デートって、何するの。
「映画みたり、おしゃれなカフェでお茶飲んだりするんだ」
おしゃれなカフェ! いいね、ふたりでデートしようか。
「うんうん、デートしよう。ぼくはママが大好きだし」

ママも大好きだよ。じゃあ春休みになったらしよう。春休みになったら、たぶん何か、たのしい映画がやってくるよ。映画見てお茶しよう。
「映画館ってどこにあるの」
行ったことないね、そういえば。どこかにあるよ。それで映画館では、ポップコーン食べるんだ。
「ポップコーン!」
割り勘だよ。

子ども、ほっぺた真っ赤にしてうれしそうである。どうしたんだい。

でもさ、デートなら毎朝してるでしょ。公園の登校班のとこまで一緒に歩くでしょう。
「そんな短いのじゃだめだよ。映画見て、カフェでお茶飲んだら、人生最高のデートなんだ」

なるほどっ。
じゃあ、人生最高のデートのためにはさ、そこの玩具片付けて、布団敷いて寝ないと。
「うん、わかった。人生最高のデートのためにね」

子ども、いつになく、ものわかりよくお片付けした。

ふふんっ。デートの約束っと。もしかしたら、ただの子守りだが。